Es guets Neus

新たな一年を無事迎えることができ、おめでとうございます。

年末は冷凍都市東京に滞在し散財三昧。神保町で本屋とdisk unionに入り浸り。あっという間に一日が過ぎる。それから、夫の人の先輩/友人夫妻とネパール料理。ネパール料理店の店長らしき男性が、彼自身、面白い事をしている/しようとしているわけではないが、俺、お水持ってったったぜ!というような雰囲気を醸し出しているのに、一人分足りないとか、その一挙手一投足がいちいちおかしく、美味しく、いろんな意味で頂いた。翌日は予約していたお店。満席でありました。しかしながら、田舎の空気にまみれた毎日を送っている私には、冷凍都市の空気は凄まじかったようで、半日過ごしただけで目が真っ赤になり、喉が枯れてきた。皆さんすごい所で仕事や生活をなさっている。だがしかし、それも人間の身体の環境に対する順応性があるからこそなのでしょうね。住めば都と言いますし。

晦日に帰宅し、お雑煮のだしを分けて年越しそばをいただく。元旦は普段食べないしょっぱい系、つまりはお雑煮とお屠蘇でお出迎え。夫の人の貴重なおやすみ中は朝から市内を歩き回った。

さて年賀状の答え合わせ
謹賀新年:日本語
A Fabulous New Year:英語
Ein Glückliches Neues Jahr:ドイツ語
E gudde Rutsch an d>neit Joer:ロマンシュ語
Es guets Neus:スイスドイツ語

Drei Buecher des Jahres

2011年における3冊の本。新刊本でなくともよく、どれがベストではなく、いずれも並列、ということで夫の人と口論、、、しないけど。


夫の人
「世紀の空売り」 マイケル・ルイス著/東江一紀
「サイバー・クライム」 ジョセフ・メン著/福森大喜監修/浅川佳秀訳
「煙の樹」 デニス・ジョンソン著/藤井光訳


「世紀の空売り
金融システムそれじたいはいいことであると思う。なぜならそれによって経済が動き、回りまわって富が再分配されるであるから。しかしながら、国がこの金融商品はいいよ、とってもおいしいんだよ、やれ!護送船団方式というようになってしまうことがあり、民にはそれが分からないことは往々にしてある。そのなかで、その金融商品のひどさにいち早く気づき、それをしないという方にかけた人たちの話。結局「しない」という方にかけた人たちは儲かったのではあるが。

「サイバー・クライム」
もはやワールドワイドウェッブ自体が立ちゆかなくなってきている。日本がこれまでサイバー攻撃を受けなかったのは、頑丈なセキュリティシステムが構築されているからでR、なんてことは全くなく、単に言語の問題だけであって時間の問題である。というのを読んでいたら、ガンガン攻撃されているので、あらまーという。

「煙の樹」
上下二段組の本。ベトナム戦争にまつわるお話。緻密な文章で書き綴られているこの小説は、激しい波があるわけでもなく、退屈さえしてしまいそうな気にもなるが、この延々と続くかのような気持ち悪さが戦争を表しているようである。これとあわせて、「風の谷のナウシカ」。昔、読んだ時は、この漫画に描かれている宮崎駿の残虐さがいまいち分からなかったけれど、今ならこの残虐さが納得できる。また、あわせて「ベスト・アンド・ブライテスト」も。




巨匠とマルガリータミハイル・ブルガーコフ著/法木綾子訳(新訳じゃない方)
「殺人探求」フィリップ・カー著/東江一紀訳(世紀の空売りと同じ人が訳、決まりキンタマの訳のひと)
「ダマセーノ・モンテイロの失われた首」アントニオ・タブッキ著/草皆伸子


巨匠とマルガリータ
ようやっと読めた。精神を病んでしまったり、人が死んでしまったり、素っ裸で空を飛んだり、猫が喋ったり、巨匠の書いた/書くであろう物語に飛んだり、はっきりいってむちゃくちゃである。むちゃくちゃすぎて破綻してしまいそうであるがそうはならない。当時のソ連の恐怖政治の中、地下で秘密裏に書写したり口頭で覚えていたりして、必死で残してきたというのを考えると、その当時の体制を噛み砕いてユーモアでもって書ききったというのがすごい。


<次点>
「オスカー・ワオの短く凄まじい人生」ジュノ・ディアス著/都甲幸治、久保尚美訳
一家にまつわるフク(呪い)、オスカーくんのNERDっぷり、男性は早死にし、女性は死にそうになっても生き長らえる、さて一家の呪いは、オスカーくんのドミニカノスたるための呪いは解けたのか、とかではあるけれども、語り手のユニオールくんこそが実はNERDであり、この物語が彼の創作であったのではないかという方に一票。


「天国の発見」ハリー・ムリシュ著/長山さき訳
ふたりの男性のスノッブさにむにゃっとなりそうではあるが、ふたりの男性、ひとりの女性。どちらのこどもなのか、というのが、イスラエルで出会った紫色の女性、そのうでに残る薄くなった刺青によってわかる。そしてふたりの男性、ひとりの女性の息子は、発見しちゃうのである。


「美濃牛」、「黒い仏」、「ハサミ男」、「キマイラの新しい城」、「鏡の中は日曜日」、「子どもの王様」殊能将之
殊能さんの、緻密に計算された文章、でも、まーったく、ありがたくない、というのがとても好きである。


「エンジン/ENGINE」矢作俊彦
女性上位時代!


「BA-BAHその他」橋本治
橋本治は現代を鋭く切り裂く小説を書くなあと読むたびに思う。常にup-to-dateなされている。この短編の中で、3代目組長とガンダムの話が、ザク萌だとかガノタだとかを一蹴してくれる内容。2代目に鉄拳制裁によって育てられた3代目は、男子たるもの戦いにおいては何をおいてもうんたらかんたらであろうから、アムロの「いつになったらぐっすり眠れるの」やら「お父さんにも殴られたこともないのに」の発言には納得しかねるであろうけれども、でも、実の息子には甘いというのに気づいているのかどうか、アムロどうなるのやら、アムロよ、と自分とアムロを重ねて見ているようだが、ある物を作らせて、乗った瞬間(しかも設計上、心臓部ではなく、頭の中)ガクンの落ちる、そうだもう自分は大人なのである、と気づくのだ。



追加の本棚が届いたので本を本棚から出したところ、いまは芸能人の歯並びなみに整列して本棚に収まっている。

von meiner Schwiegermutter

すでに季節は冬になってしまったが、時節は秋の頃、Kお母さんとSおばあちゃんがうちに泊まりに来られた。おじいちゃんがかつて勤めていた旧中島飛行機も電車から見られたようだし、私達が自転車で足利に行ってはいつか行こうと思っていた、足利学校にもいけたし、朝は一緒に川沿いを散歩できたし、良かったかな、いや自己満足かもしれませぬが。次回は一緒に日光方面へ行けたら良いなと思う。それで、さすがKお母さん、家に戻ったら旅先でのことを俳句にして詠んでくれました。さらに、Kお母さんとは、わたしの実の母以上にメールのやりとりをしているという驚愕の事実。

秋空の雲の上行く母娘旅

目覚めれば渡良瀬川の深き霧

朝霧に赤城の山の見えざりき

大株のきのこ売られし上州路

蕎麦まつり幟連なり秋うらら

穏やかに足利学校棗の実

”Die Jungen” willkuerlich mit MC KIKUCHI

数年前まで、多分セクステットの2枚目のアルバムまで、かつ今のDCPRGのではなくて前回のDCPRGの最後のライブまで、結構しつこく菊地さんの日記なりを読んでいたのであるが、なぜだか遠ざかっていて、久しぶりに見てみるといやはや、さすがだなあ、キレキレだなあ、わたしの中での"菊地さん好き部"というのは、おそらくに氏がロイホで2時間ニヤニヤしながら作って、聞いてるこちらもニヤニヤして、実はものすごいキレキレなことをやられているというところであると思われる。韓国の芸能についてはまったくもって知らないのであるが、"少女時代"というガールズ・グループがいることは知っていた。その方たちのメリケン進出第一弾の、国内盤は出ていない、"The Boys"を菊地さんがやられているラジオの前口上でラップを重ねるということをやられていた。これがまた面白くて、菊地さんの第三のインターネッコを読まれるとぐっと肉付けされてこの面白さが倍増されるかと思われる。男たちよ立ち上がれ、我々少女たちと共に闘おうぞという連帯の歌なのだそう。

一方で、Destiny's Child出身のBeyoncéは世界は女が動かすのだとおっしゃっている。それにしても、Beyoncéは彼女一人で少女時代のメンバー分の能力を併せ持った超人であり、また、その潜在的なリズム感の素晴らしさに加え本人自身の求道的努力によってなされたものはもはや近寄りがたし。メリケンのダンスミュージックを換骨奪胎したのが少女時代であろうか。少女時代もBeyoncéも大勢で踊るという体制には変わりないとは思われるのですが、近いようで遠い、実は根底で似ているのかと思わせる2つの動画、見比べてみると面白いのでありました。

さ、て、ボールルーム・ダンスとハイヒールはどちらが先に発明なされたのであろうか。ハイヒールはパリの街が落し物で溢れかえっていて汚いのでそれを踏まぬために発明されたものであったかと思うが、ボールルーム・ダンスは男性と共に踊り、つまりハイヒールを履いて踊るという行為は誰かの支えがあって踊るものでありひとりでは踊らない。それがハイヒールを履いて社会に出、仕事をするようになる。更に高いハイヒール、いやもはやピンヒールであるが、それを履いて激しいダンスをするようになり、アスファルトやステージだけでなく、砂の上でもハイヒールで踊るようになったガールズたちはもはや無敵ではなかろうか。ハイヒールの進出はどこまで続くのやら。軍隊でハイヒールを履くようになるのか。しかしながら、今のところ、革ジャンにレオタードという服装はしても草薙素子の足元はブーツであったよ、公安9課。Lady Gagaの最初出てきた頃はリアル草薙素子だと思いました。

Einsam Gosch, der Cellospieler

劇団黒テントの「窓ぎわのセロ弾きのゴーシュ」を観に行く。私はプログレに引き続き、いや、プログレ以上に演劇のことは全く知らない。小学校の体育館で見た演劇くらいしか見たことがない。一方、夫の人は劇作家の岩松了作品を好んでおり、かつては、テレビでお芝居を見るというこれまたへんちくりんなことをよくやっていたらしく、その他劇団の名前やらを知っているのであり、一ヶ月前に近所の銭湯桜湯に貼られていた演劇祭のポスターを見、劇団黒テントと記載されているのを、私ははてな?夫の人は感嘆!という具合で、夫の人によるリモート・コントロールがピピピとなされたのでした。私は観客でただ一人自転車でやってきたようで、ご親切にもどうぞどうぞといった具合で会場の出入口に駐輪させて頂いた。会場であるのこぎり屋根の旧織物工場は収容人数150名でぎゅうぎゅう。いやはや、演劇を一体どのように観れば良いのか、演劇という体験はどうなされるものなのだろうか、とドキドキしながら席に座っていたが、始まるや否や、ぐっと芝居に引き込まれ、そんな心配はどこへやら。
定年間近の万年平社員のはずだが世間体というのもあるので係長"補佐"になっているゴーシュ。ゴーシュが今日"も"お風呂に入れなかったくらい夜遅くまで残業をしている雑居ビル内の会社に、次々とやってきてはやいのやいのと残業の邪魔ばっかりをして、そしてあれよと去っていく人々。ピアノと共にヨハン・シュトラウスドヴォルザークムソルグスキーシューベルト等々の名曲にあわせて歌う人々。演劇を体験して、ひとつに出演者の声量に驚かされた。演劇をする上で身体的に必要なことなのだろうけれども、これは、相撲を観戦した際、組み合いの際の力士同士がぶつかり合う音とはこんなにすごいのかと思った位の驚き。また、やいのやいのの掛け合いの間合いというか呼吸というか時間間隔の妙。そしてことこまかに笑いの要素が仕込まれているのだが、私の斜め後ろくらい、劇中で笑いの部分でわっはっはとしっかり楽しんでいる、小学生くらいの声。劇途中、「いまなんじ?」、「そうね〜だいたいねぇ〜」という会話があり、多くの観客が一瞬にしてその仕掛けがわかりふふふと笑っているのだが、その小学生らしきが、この会話の意味というか、これが何のことなのか、なぜみんな笑っているのか???というのをすぐさま思ったらしく、隣に座っているであろう付き添いの人に、小さい声で「これってどういうこと?」と聞いていたのが耳に入り、おお、するどい子やなと。
とまあ、私の演劇体験は次の芝居を体験してみたか、という気持ちにさせてくれた素晴らしいもので、出演者はもちろんのこと、住友郁治さんの奏でる音は劇中にごん!と強く響かせるようにはたまたそっと沿うようにと美しいピアノの音で最後の最後のシューマン"Träumerai"は演劇を見るという緊張から一気に緩和へと向かわせてくれた。

eine Musikrichtung

NHKFMの「今日は一日◯◯三昧」で先日は「今日は一日プログレ三昧、再び」であった。私は他の多くの物事がそうであると同様にプログレについても全く知らないに等しく、やれプログレだと言われても幾つか耳にしたことのあるプログレというジャンルの音楽について、メタル?クラシック?え?とへんちくりんで大仰な音楽であるなあという印象しか持てずそのまま放置していた。とは言えど、夫の人はへんちくりんのプログレの中でもこれまたへんちくりんのジャーマン・プログレのCDは持っている。しかしながら、これもどんぴしゃにジャーマン・プログレを好きになったのではなくて、私のいい加減な解釈によると、シカゴ・ハウスから始まるダンスミュージックからのデトロイト・テクノ、ヨーロッパへ派生してのジャーマン・テクノ、この大御所のManuel Göttsching、彼がグループの一人であるAsh Ra Tempel←ジャーマン・プログレ、ようやく行き着いた、という訳でしてその他、Neu!、la Düsseldorfを好むようになったという流れである。そういえば、"Düsseldorf---"と歌詞が入る曲はKraftwerkでありましてこれはプログレではありませぬ。
さて、プログレ三昧。ゲスト出演者の宮武さん曰く、プログレファンはプログレが好きであることを公言することがままならず、普段抑圧されていて、まるで隠れキリシタンのような存在である、と。それ故なのか、リスナーの皆様からのリスエストに添えられたメッセージがプログレに対するままならなぬ愛をぶつけられている気がした。抑圧からの解放。それでまた、リクエスト曲もよくまあ見つけてこられますなといった具合の、リクエストした本人すらそのアーティストの読み方すら分からぬ、イスラエルの、アイスランドプログレインドネシアではハレの目を見ることが出来ずイタリアからリリースされたインドネシアプログレ(結局売れなかったのか?)等々。アイスランドプログレアーティストにいたっては、当該大使館へその読み方を伺ったところ、実は、大使がこのファンであるという驚愕の事実も判明。食事などで家に呼ばれたら、「俺の好きなアーティストだ、聞いてみてくれ」などと、食事中に、いや、食後のキャフェ−中に流れるのであろうかと思うとニヤニヤしてしまう。インドネシアプログレは、やっちゃった感満点の、民族音楽に必要性の全く感じられないさわやかな女性ボーカルを散りばめたレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン風味のメタル音楽といった、どうしてこれを一曲にまとめてしまったのかという疑問点の浮かぶ音楽であった。嫌いじゃないけど。また、ゲーム音楽作者にはプログレファンが多く、ゲーム音楽宅録感がどうしても出てしまうのは致し方なないが、バンドで演奏がなされれば、紛うことなくプログレであるということであり、はたまたライブは、超豪華メンバーの、と言っても私が知っているのは山本精一さん、ミトさんくらいなのでありますが、ファン垂涎のライブであったでしょう、事実、演奏なされた音楽は研ぎ澄まされて美しく、素晴らしく、音源として売られたら絶対買うばい!と言った具合であった。
また、プログレそれ自体は、プログレを聞きながら何かをするということはできない音楽、つまり何も手につかない、何も考えられないというのがプログレの判断基準のひとつであり、例えば車を運転しながらのプログレを聞くというのは稀な行為であるとのこと。私はこの番組を聴く前までは、冒頭のようにプログレに対しての思い入れは全くなく、なんだプログレか、まあ、聞いてやろうじゃないか程度の気持ちで斜に構えていたが、プログレ判断の基準のひとつであるように、お昼寝もままならぬ手に汗握りながら、約10時間も拝聴していた。前回の山下達郎の比ではなかった。プログレの罠にかかってしまったか。

Apfelringe

ひとつ山を越えるとその土地の風習や言葉があり全くわかりかねるぞなもし、となるように、ひとつ屋根の下で共同生活を行なっていると、その屋根の下内での理解、共通認識、はたまた屋根外の人には分かりかねる会話というものがあるのだと思うのである。ちなみにうちでは「ありがとう」、「どういたしまして」が「アリガットウルグアイ・ラウンド(アリガットというところは外国人の話す日本語のような発声でどうぞ)」、「どういたしましテクマクマヤコン」とイミフに長くなっているのだが、両者とも小学生の時分にニュースやアニメで耳にしていたのでそれが移行してこのように会話の中に組み込まれたのであるとなんとも意味有りげなことを言ってはおりますが、実際のところは意味はなく多分にリズムが良いからなんだと思われます。他にも色々あるのですが、更にもう一つ、「ただいま」、「おかえりなさい」が「ただいマリモ」、「おかえリンゴスター」であり、これまたイミフでありますが、リンゴ・スターについては、Beatlesのつんのめるリズムさばきのリンゴ・スターでありますからね、あ、りんごといえば、りんごの会長だった我らがSteveが天へと召されましたね。私とりんごの、特にマッキントッシュとの蜜月は働いている時のみで、あとはスイスへと出発する直前の日までしつこくiPodにCDの音楽をせっせと入れていたことでくらいでしょうか。Steve Jobsは8月の下旬にりんごのCEOを退任して会長に就任されたところだったのでありますが、よっぽど病気の度合いが悪かったのでしょう、本当にあっという間のことでありましたなあと年間購読をしているクーリエ・ハポン(本当はクーリエ・ジャポン、これもまた耳ざわりってやつでしょうか)はちょうど「ジョブズがいなくなってもアップルは大丈夫?」の記事や、「ニューヨーカー」誌のスタッフライターであるところのMalcolm Gladwell氏(著書「天才!」が有名か?)の記事やらが掲載されておりました。きっと来月のクーリエ・ハポンは更にSteve Jobsのことにフィーチャーするでありましょうなあ、と思いながら読んだのだが、なによりも、おや?と思ったのは、このMalcolmさんの記事に掲載されているSteve JobsがPARCにいた時の研究者と写っているの写真で、部屋にはビーズクッション(無印に売っているようなものとほぼ同じかと)がたっくさん配置され、その中心辺りに研究者が車座になって、これまたそれぞれがビーズクッションに寄りかかって座っているというもの。いやあ、40年前にはすでにビーズクッションてあったのかという方が印象的でありました。



Lebwohl, unser Steve.