Was hast du gestern gegessen?

年齢は若いねえという時期を過ぎ、仕事においてはもはやルーキーというものでもない方々にとっておきの漫画は、本屋で平積み人気作、よしながふみの「きのう何食べた?」であろうかと思う。料理上手で格好良く、職業は弁護士さんという筧史朗とジャニーズとピンクが好きで、町の美容師の爆弾処理班という矢吹賢二であるふたりのゲイカップルのお話。これが女性2人のレズビアンカップルであると、おばはんという括りになってしまいしみったれた感じなり、ほら、豊齢線とか白髪がとかとか、はたまた普通の男女のカップルであるとどこにでもある設定で面白味にかけると思う。毎回、料理が作る過程と共に描かれているのだが、男子厨房に入る!男メシ!男子食堂!みたいなマッチョな料理でもない。筧史朗が作るそれはなーんちゃない、しごく普通のご飯である。でも料理の流れがものすごくうまく、手を抜く部分を知っているし、献立の立て方も、あまから酸っぱいの三位一体、、三種の神器であり、よしながふみさんの料理好きかつ料理上手さがわかる内容でもある(西洋骨董洋菓子店2巻の最後でめんたいパスタとサラダを作る過程も秀逸)。しかしながら、この漫画がなぜこんなに何度も読み返したくなるのか、私の心をぎゅっと掴んで話さいのか、というのを夫の人と話したところ、そのなかでふむと思ったのが、年齢を重ねていくと、私生活、仕事、老い、、などなど、日々の生活の中で多かれ少なかれ不幸があり、それを食事を作る、誰かと一緒に食する、という行為でもってその不幸を飼い慣らしていくという点がグッと来るのではないか、特に料理は私と密接に存在しているからであろうし、食べるという生きるためには必要不可欠なものに直結しているからなおさらではないかと。
話は大きくなってしまうけれども、戦争が終結となり、てんちゃんの玉音放送を聞いて、人づたいに聞いて、じゃっぽんは負けてしもうたと知った男性たちは、何も考えられずただただ打ちひしがれていたのであるが、一方で女性たちは何をしていたか。さっと台所にたってまずはその日の食事を作っていたのだ、平和っちゅうもんはこういうところからなされていくといったような内容を鶴見俊輔さんがおっしゃっていたのを思い出しのでありました。
オネエではなくオバちゃんの入った、そして、低脂肪乳の安売りがないな、困ったな、というコマが3回もあるような筧史朗のような男性はいるのであろうか、と思う。あと、ひげのジルベールは知らずとも、「風と木の詩」といって、萩尾望都がすぐ出てくる夫の人には完敗である。ああ、そうよ、私もひげじゃない本家本元のジルベールを画像検索しましたとも。

男はJB、女はAretha

達郎、もとい、山下達郎といえばそのワンレン(!)のサラサラ男性でクリスマスの時期に、JRのタイアップの音楽の人だな、というので、「くーりーすーますきゃろるがー、、、」と歌っていると夫の人が「それは違う人!」と時代を切り裂くように鋭く指摘してくれる、つまり私にとっての達郎は、80年代のトレンディドラマの画像につながるような、松任谷由実と並列で考えるくらいの、なーんか、しゃれた音楽であるなあという思いしかなかった。しかしながら、ネットでラジオが聞けるようになり(うちは、通常のラジオでは、NHK第一と第二のみ、FMは入らない、マンマ・ミーア)、夫は高校の時から知っていた、山下達郎がやっているラジオ番組であるところのサンデーブックソングを聞くようになり、達郎は松任谷由実とは、、違うね。いや、全く違うね、と長年ファンをやっておられる方々には大変申し訳ないのであるが、ようやく気づいたのであった。オールディーズやらソウルやらの音楽がどしっと根幹にあるのであるのだな、と。そんな達郎に気づいた数日後、NHKFMで一日山下達郎三昧という番組があるというのを知り、正午より午後の10時まで、途中昼寝と散歩を挟みつつ聞いた。達郎が持っている、ファン垂涎の貴重な音源のなかで、達郎が自身のライブで歌った、Marvin Gayeの"What's going on"を流し、うわわ、やばやばとなり、うちにあるMarvinのそのCDを聞いたり、昔の達郎の声は、今と違う声であり、何時からクリスタルな声になったのかなどと、ラジオで流れる達郎の曲を聞いて考えたり、また、達郎への質問で、好きな歌い手は何かというのがあり、即座に、「男はJB、女はAretha」と応えており、うむうむなるほどなるほどと思った。JBとは言ってももちろんツェッペリンのドラマーであるところのジョン・ボーナムではなく、ゲロッパJames Brownであるのは当然でありますね。で、女性の歌い手Aretha Franklinはこれもまた達郎自身のラジオで聞いた、Arethaが教会で歌った"Amazing grace"がもはや神がかっていて、魂の叫びがまさに聞こえんとす、でした。という訳で、達郎から始まって、ソウル・ミュージック熱が高くなってきそうで、うちにあるピーター・バラカンの「魂(ソウル)のゆくえ」をサッと手に取ったのは言うまでもなく、まずはArethaからかな、うむ、などと勝手な想像をしつつ、こうやってまたCDが増えていくのだなと、やれやれと共にうきうきもするのであった。

もはや誰も追随できぬような魂の叫び、Aretha Franklinで"Amazing grace"をお聴き下さい。って誰だわたし。

余震のひとつ

紛うことなき眠りの小五郎である私は夫の人の帰りを寝て待っておったところ、揺れに気づき、かっ!と目を見開いた。最初は、寝室の部屋の隅にそっと移動したものの、おやおや、いつもの余震とはちがう、おやおやおやおや、と揺れが収まらないので、携帯を手にして、ラジオをつけて、食卓の下に潜ってみる。と、夫の人が帰宅。グッタイ!ラジオのニュースによると、今回の揺れは、先月の地震の余震のひとつとのこと。揺れるときに心臓がグギューーと縮まる感じはなんともしがたい。

マンデル大先生のご推薦のもと、津原泰水の「蘆屋家の崩壊」を読み、そうそう、ポーのアッシャー家の崩壊ですな、と思っていると、翌日、毎朝掃除の時に聞いているジェフのポッドキャストのその時のテーマが偶然ポーだったので、思わず「ポー!」と言いたくなる。それでもって、先日ゲゲゲの鬼太郎漫画をコンプリートし、佐藤友哉の「1000の小説とバックベアード」を読んでいると、それにゲゲゲの鬼太郎のことが書かれており、思わず、「とうさん!」と言いたくなった。

カッコウ目カッコウ科カッコウ属カッコウ

計画停電はここのところなし。

ふと私の趣味はなんであろうか、と、本当に、ふと思ったのだが、読書も音楽を聞くことも趣味というほど、キーン・オンではないし、それならば、料理か、というと、いやいや、料理をするときは、料理よりも片付けのことが真っ先に頭に浮かんでくる。では、自転車か、というと、これまた自転車道を通ってファーっと遠くまで行く時の、本気(と書いてマジと読むのだZE)乗りの際に、追い抜き追い越され、すれ違う方々の格好は、テケトーな格好をして滑行している私達なぞは到底及ばず、ツルッとしたウェアで恰好良く、冬のスポーツのひとつである滑降の格好のようである。かっこう、ねえ、、、、かっこうと考えると、郭公の鳴き声は「かっこう」であり「かっこう」と書くな、と思う。あらあら、くたばってぇしめぇの二葉亭四迷の言文一致体(だいぶ意味違いますが)?生き物そのものの名前が鳴き声と一致している動物は他にいるであろうかと考えると、パッと思いつかない。牛は「もーもー」、猫は「にゃーにゃー」、アヒルは「がーがー」である。ウィキペディアさんで郭公を調べると他言語であっても「かっこう」に相当する名前が郭公の名前となっている。なんとまあ、という、本当にどうでもよいことばかり考えている私の趣味は、そうであった、昼寝であった。忘れていたよ、モナムール・シエスタ(なんという混成言語であるか)!

せいけんほうそう

先週末から計画停電なし、でも、前日通知なので、これもまた、、というKIMOCHI。

この度の東京都知事選挙に伴う候補者の経歴・政見放送が、朝の7:20からNHKラジオでやっており、候補者らの政権公約が主に今回の地震による被災者の支援及び復興に関することが多くを占めているようなのは、まあそうだろうなという気持ちである。が、しかし、電波な方もいらっしゃる。ああ、いろんな人がいて面白いなと思う反面、政治家って変な人ばかりの集まりなのだなあ、自分の中のものすごく強い意志を貫いていかないと、魑魅魍魎の世界では消滅していくのだなあと改めて思う。「夷狄!」、「攘夷!!」とのたまう方もいて、え、、ば、、、幕末??と思わざるを得ない。もっとディープなこともおっしゃっておりましたが、政見放送だから放送されるのであり、それ以外では放送コードに引っかかるのではないかと思ったのだが、どうであろうか。どういう経緯でこの候補者がこのような考えに陥ったのか、すこし興味がある。嫌なことでもあったのだろうか。しかしながら、あなたが外国に行って、そんなこと言われたらいややろうもん、思わず吹矢を握りしめるやろうもん、と思うのであるが、そこまで想像力を働かせることができないのだろうか。まだまだ十分に若い40代のあなたなのに。

25日

計画停電15:20〜18:20

家のポストに「◯◯典礼会館」のティッシュと名刺とちらしが入っていた。このような時期になんとまあと思う一方で、このような時期だからこそ、ビズィネスとして経済を回そうということなのだろうか。手に取るもフームと思う。チラシには「白寿の方が亡くなられた場合には10%引き」、「何月何日から何月何日までは、◯◯のサービス」とか、「ロビーではフリードリンク」、オー・マイ・マイ、である。

閑話休題

ラジオにて宇都宮で飲食店を営んでいる人の話を聞く。宇都宮は地震の被害はそう大きくなかったらしいのだが、今週をもってお店を閉めることにした、と。その理由は、計画停電にあるようだ。「計画停電」とは言えど、何が「計画」なされているのか。東電は”一応”停電の計画を立てていて、クラウド上にも”一応”発表している。しかしながら、本当のところは、この停電が事前にならないとやるのかどうか分からない。彼らはいつも「第◯グループと第◯グループの計画停電は実施しない”予定”です。しかしながら、電力需要が供給を上回る場合は、実施する”場合も”あります。」という、物言いである。そうなるとお店側としては、果たして仕込みの準備をしてよいのやら、どうなのやら、お店を開けることができるのやら判断つきかねる。よって、スケジュールが組みにくい。また、突然、停電はありません、と言われても、営業時間だけ停電でなくとも、お店を開くためには、その前に仕込みの作業の時間というものが必要なのだから、なかなかどうして難しい。工場にとってもだいたい同じことが当てはまると思われる。特に中小企業のところは大変だろう。一つ一つを細かく切り刻んでできるものではなく、流れ、というものがあってその流れが中断されるようなことになると、全体がうまくいかないのだろう。一方で東電側も電力供給こそが利益につながると思われるので、電力の余裕があれば供給したいところかな、と。また、停電は長期になるものだとおもうので、需要側と供給側の電気に対するアンビバレントな思いが、果たしてどうなるのだろうか、今度の計画停電の再区分でどうにか、良い方向へと進むとよいなあと思う。

その一方で、停電中も「キャンドルサービスでやってマス!」と貼り紙を出して営業している居酒屋があり、強いな、さすがG馬だ、上州のからっ風にかかあ天下だ、そしてアーシーなJJIもいるぞ、とG馬に対してものすごーく偏ったイメージが張り付いて離れず、そう思ってしまう私がいる。でも、こういうところは、停電中もガスと水は問題ないのだろう、だからなんとかやれるんだろうなあと思う。