der Geister oder Naturkraefte als Goetter

神様と神様2011を読む。久しぶりに川上弘美を読む。

もしあなたが山でクマに遭ってしまったら驚きのあまり雄叫びを上げることもできずヒィという言葉をゴクリと飲み込んでしまい腰を抜かし遭ったクマもクマでクマった!とばかりに驚いて爪を伸ばした手をガスっとあなたに向けるであろうそしてあなたはクマからしてみると大したことはしていないはずなのにあなたにとっては命に関わるケガをするのかもしれない。が、ここではクマに会い、クマとともにハイキングに出かける、のである。川辺につくとクマは北海道の木彫りの熊の格好よろしく、あなたに対してではなくて、川の中の魚に対して牙を向ける。水しぶきが太陽の光を受け目を細めてしまうくらいに光り魚は宙を舞う。クマとの一日。クマと一日を過ごすという非日常がまるで日常であるかのごとく。ところ神様が2011年版となると日常は一変。クマと一日を過ごすという非日常以上の非日常がどろりとやってきて、過去から観測すると全てが非日常ということばかりが起きているのであるが、悲しいけれど怒り狂いたいけれどもそのことすらも日常となってく。ヒトは放射性同位体という未知のモノに遭遇し、それを利用するために分裂させたり、出会わせたりし、今度は全てのものに対し恐ろしいことに遭遇させてしまった。さようであるならばしかたない、さようなら、ちゃんちゃん、とすませることはできない。この非日常的日常を日常として受け入れて何十年も何百年それ以上かかるかもしれないけれども、全てのものに対する怒りを、そしてこの原子炉を、どう鎮めていかなければならないかというのを、もううんざりという方もいらっしゃるかもしれないが、やはりやはり科学を使って考えてゆかなければならないと思う。
ヒトは科学の発展と共に生きてきたのであるからそれをハムスターのカラカラ車のようにその場に停滞させてはならぬ、毒を食らわば皿までよ、ヒトと科学のタンデムでどろどろとどっぷり血みどろになるまでいこうではないか。それもまた責任のひとつではあると思うよ。ヒトよ。

「今日はほんとうに楽しかったです。遠くへ旅行して帰ってきたような気持ちです。熊の神様のお恵があなたの上にも降り注ぎますように。それから干し魚はあまりもちませんから、めしあがらないなら明日中に捨てるほうがいいと思います。」
 部屋に戻って干し魚をくつ入れの上に飾り、シャワーを浴びて丁寧に身体と髪をすすぎ、眠る前に少し日記を書き、最後に、いつものように総被曝線量を計算した。今日の推定外部被曝線量・30μSv、内部被曝線量・19μSv、年頭から今日までの推定累積外部被曝線量・2900μSv、推定累計内部被曝線量・1780μSv。熊の神とはどのようなものか、想像してみたが、見当が就かなかった。悪くない一日だった。