25日

計画停電15:20〜18:20

家のポストに「◯◯典礼会館」のティッシュと名刺とちらしが入っていた。このような時期になんとまあと思う一方で、このような時期だからこそ、ビズィネスとして経済を回そうということなのだろうか。手に取るもフームと思う。チラシには「白寿の方が亡くなられた場合には10%引き」、「何月何日から何月何日までは、◯◯のサービス」とか、「ロビーではフリードリンク」、オー・マイ・マイ、である。

閑話休題

ラジオにて宇都宮で飲食店を営んでいる人の話を聞く。宇都宮は地震の被害はそう大きくなかったらしいのだが、今週をもってお店を閉めることにした、と。その理由は、計画停電にあるようだ。「計画停電」とは言えど、何が「計画」なされているのか。東電は”一応”停電の計画を立てていて、クラウド上にも”一応”発表している。しかしながら、本当のところは、この停電が事前にならないとやるのかどうか分からない。彼らはいつも「第◯グループと第◯グループの計画停電は実施しない”予定”です。しかしながら、電力需要が供給を上回る場合は、実施する”場合も”あります。」という、物言いである。そうなるとお店側としては、果たして仕込みの準備をしてよいのやら、どうなのやら、お店を開けることができるのやら判断つきかねる。よって、スケジュールが組みにくい。また、突然、停電はありません、と言われても、営業時間だけ停電でなくとも、お店を開くためには、その前に仕込みの作業の時間というものが必要なのだから、なかなかどうして難しい。工場にとってもだいたい同じことが当てはまると思われる。特に中小企業のところは大変だろう。一つ一つを細かく切り刻んでできるものではなく、流れ、というものがあってその流れが中断されるようなことになると、全体がうまくいかないのだろう。一方で東電側も電力供給こそが利益につながると思われるので、電力の余裕があれば供給したいところかな、と。また、停電は長期になるものだとおもうので、需要側と供給側の電気に対するアンビバレントな思いが、果たしてどうなるのだろうか、今度の計画停電の再区分でどうにか、良い方向へと進むとよいなあと思う。

その一方で、停電中も「キャンドルサービスでやってマス!」と貼り紙を出して営業している居酒屋があり、強いな、さすがG馬だ、上州のからっ風にかかあ天下だ、そしてアーシーなJJIもいるぞ、とG馬に対してものすごーく偏ったイメージが張り付いて離れず、そう思ってしまう私がいる。でも、こういうところは、停電中もガスと水は問題ないのだろう、だからなんとかやれるんだろうなあと思う。