Einsam Gosch, der Cellospieler

劇団黒テントの「窓ぎわのセロ弾きのゴーシュ」を観に行く。私はプログレに引き続き、いや、プログレ以上に演劇のことは全く知らない。小学校の体育館で見た演劇くらいしか見たことがない。一方、夫の人は劇作家の岩松了作品を好んでおり、かつては、テレビでお芝居を見るというこれまたへんちくりんなことをよくやっていたらしく、その他劇団の名前やらを知っているのであり、一ヶ月前に近所の銭湯桜湯に貼られていた演劇祭のポスターを見、劇団黒テントと記載されているのを、私ははてな?夫の人は感嘆!という具合で、夫の人によるリモート・コントロールがピピピとなされたのでした。私は観客でただ一人自転車でやってきたようで、ご親切にもどうぞどうぞといった具合で会場の出入口に駐輪させて頂いた。会場であるのこぎり屋根の旧織物工場は収容人数150名でぎゅうぎゅう。いやはや、演劇を一体どのように観れば良いのか、演劇という体験はどうなされるものなのだろうか、とドキドキしながら席に座っていたが、始まるや否や、ぐっと芝居に引き込まれ、そんな心配はどこへやら。
定年間近の万年平社員のはずだが世間体というのもあるので係長"補佐"になっているゴーシュ。ゴーシュが今日"も"お風呂に入れなかったくらい夜遅くまで残業をしている雑居ビル内の会社に、次々とやってきてはやいのやいのと残業の邪魔ばっかりをして、そしてあれよと去っていく人々。ピアノと共にヨハン・シュトラウスドヴォルザークムソルグスキーシューベルト等々の名曲にあわせて歌う人々。演劇を体験して、ひとつに出演者の声量に驚かされた。演劇をする上で身体的に必要なことなのだろうけれども、これは、相撲を観戦した際、組み合いの際の力士同士がぶつかり合う音とはこんなにすごいのかと思った位の驚き。また、やいのやいのの掛け合いの間合いというか呼吸というか時間間隔の妙。そしてことこまかに笑いの要素が仕込まれているのだが、私の斜め後ろくらい、劇中で笑いの部分でわっはっはとしっかり楽しんでいる、小学生くらいの声。劇途中、「いまなんじ?」、「そうね〜だいたいねぇ〜」という会話があり、多くの観客が一瞬にしてその仕掛けがわかりふふふと笑っているのだが、その小学生らしきが、この会話の意味というか、これが何のことなのか、なぜみんな笑っているのか???というのをすぐさま思ったらしく、隣に座っているであろう付き添いの人に、小さい声で「これってどういうこと?」と聞いていたのが耳に入り、おお、するどい子やなと。
とまあ、私の演劇体験は次の芝居を体験してみたか、という気持ちにさせてくれた素晴らしいもので、出演者はもちろんのこと、住友郁治さんの奏でる音は劇中にごん!と強く響かせるようにはたまたそっと沿うようにと美しいピアノの音で最後の最後のシューマン"Träumerai"は演劇を見るという緊張から一気に緩和へと向かわせてくれた。