Apfelringe

ひとつ山を越えるとその土地の風習や言葉があり全くわかりかねるぞなもし、となるように、ひとつ屋根の下で共同生活を行なっていると、その屋根の下内での理解、共通認識、はたまた屋根外の人には分かりかねる会話というものがあるのだと思うのである。ちなみにうちでは「ありがとう」、「どういたしまして」が「アリガットウルグアイ・ラウンド(アリガットというところは外国人の話す日本語のような発声でどうぞ)」、「どういたしましテクマクマヤコン」とイミフに長くなっているのだが、両者とも小学生の時分にニュースやアニメで耳にしていたのでそれが移行してこのように会話の中に組み込まれたのであるとなんとも意味有りげなことを言ってはおりますが、実際のところは意味はなく多分にリズムが良いからなんだと思われます。他にも色々あるのですが、更にもう一つ、「ただいま」、「おかえりなさい」が「ただいマリモ」、「おかえリンゴスター」であり、これまたイミフでありますが、リンゴ・スターについては、Beatlesのつんのめるリズムさばきのリンゴ・スターでありますからね、あ、りんごといえば、りんごの会長だった我らがSteveが天へと召されましたね。私とりんごの、特にマッキントッシュとの蜜月は働いている時のみで、あとはスイスへと出発する直前の日までしつこくiPodにCDの音楽をせっせと入れていたことでくらいでしょうか。Steve Jobsは8月の下旬にりんごのCEOを退任して会長に就任されたところだったのでありますが、よっぽど病気の度合いが悪かったのでしょう、本当にあっという間のことでありましたなあと年間購読をしているクーリエ・ハポン(本当はクーリエ・ジャポン、これもまた耳ざわりってやつでしょうか)はちょうど「ジョブズがいなくなってもアップルは大丈夫?」の記事や、「ニューヨーカー」誌のスタッフライターであるところのMalcolm Gladwell氏(著書「天才!」が有名か?)の記事やらが掲載されておりました。きっと来月のクーリエ・ハポンは更にSteve Jobsのことにフィーチャーするでありましょうなあ、と思いながら読んだのだが、なによりも、おや?と思ったのは、このMalcolmさんの記事に掲載されているSteve JobsがPARCにいた時の研究者と写っているの写真で、部屋にはビーズクッション(無印に売っているようなものとほぼ同じかと)がたっくさん配置され、その中心辺りに研究者が車座になって、これまたそれぞれがビーズクッションに寄りかかって座っているというもの。いやあ、40年前にはすでにビーズクッションてあったのかという方が印象的でありました。



Lebwohl, unser Steve.