Melanie&Damienが発音したときに私の耳には「ジュニィーヴァ」と聞こえるのであって、最初はスイスに住み始めたときの慣れない外国語の聞き取りでイタリアのジェノバ?と勘違いするくらいの微妙な発音の場所、そしてドイツ語では「Genf(ゲンフ)」と呼ぶ「Geneve(ジュネーヴ)」へ。Zürichから列車で3時間くらい揺られるとそこはもうZürichとは全く違う街並みが広がっていました。列車の車内放送も順番が変わってきます。Zürichから首都のBern(ベルン)まではドイツ語→フランス語→英語の順番ですが、Bernから先の駅ではフランス語→ドイツ語→英語の順番でなされます。もちろん機械で放送されますが、Bernのような大きい都市では停止する前に、乗り換えの案内を車掌さんがするわけです。それがドイツ語→フランス語→英語で説明をするときの言語変換のよどみのなさといったら、切れ目のなさといったら聞いているだけでがっくしきてマリアナ海溝の一番下まで落ち込みたくなります。頑張れ私。
Zürichはどちらかというと良くも悪くもこんもりどんよりな都市ですが、Genfに着くなり、Lac Leman(レマン湖)が空に向かってパカっと口を開けているようで空の広がりがZürichのそれとは全く違う美しい街。また、ゲルマン民族的なパッと見、こわ面そうなとした顔つきの人々はどこへやら、ラテンの陽気な顔ばかりで、イタリア語ですけど、故パヴァロッティの歌う「O sole mio」を手を広げてLac Lemanに向かって歌うけどよかね?それくらいの気持ち良さでした。パヴァロッティ、貼っときます。

Genfは国際機関の多いところで、建物の感じももっと豪華で頑丈なつくりとなっていました。Palais des Nation(パレ・デ・ナシスィオン:国際連合)のヨーロッパ本部があるところもここであり、フランスのイメージが強いのですが、社会契約論を提唱したJean-Jacques Rousseau(ジャン-ジャック・ルソー)の生家があるところです。また宗教改革といったらMartin Luther(マルティン・ルター)の名前がぱっと浮かぶかと思いますが、スイスのZürichではHuldrych Zwingli(フルドリッヒ・ツヴィングリィ)がそれを進め、ここフランス語圏のGenf ではJean Calvin(ジャン・カルヴァン)がすすめたのでした。もちろん新教つまりはプロテスタントを持ち込んだので、当初はカトリック御大の長老さんたちはそんなもんゲテモノじゃーといって追い出したのです、ま、よくあることですね。自分たちの中にない、新しいなにか、に対する拒絶反応とか。でもま、カルヴァンさん、最晩年になってこの宗教改革が実ったようです。それでもってこのとき民衆の間に宗教改革を浸透させるのにとっても重要な役割を果たしたのが、Johannes Gensfleisch zur Laden zum Gutenberg(ヨハネス・ゲンスフライッシュ・ツール・ラーデン・ツム・グーテンベルク)、グーテンベルク活版印刷技術の発明ですね。こう考えるといろいろつながっておるなあと歴史を読むのが俄然楽しくなってきます。最後にこれまた時計で有名なFrank Müllerの本店もここにあります、ものすっごい高くて見るだけですけどね。あの文字盤に書かれた数字のフォントに目がぐるぐる頭がぐるぐる吸い込まれそうです。
あと、グーテンベルクさんの名前を見るとどうしても、Gensfleisch zur Ladenに注目してしまいます。Gensは遺伝子、Fleischは牛肉、Ladenは商店なんですね。グーテンベルクさんの祖先はお肉屋さんだったのでしょうか、とおもうのですが。名前って面白いですね。ついでにいうと、Gutenbergもよい山、という意味です。よき山 よかれし山脈 されど肉屋