いやはや日にちが開いてしまいました。私の両親がスイスに単独で旅行に来ていたので、現地添乗員としてなんやらかんやらと働いておりました。山好きの人なら知らない人はいないであろうMatterhorn(マッターホルン)のお膝元Zermatt(ツェルマット)に2泊したり、そのあと今年の冬にスキー、というよりクロスカントリーとそり旅行に行ったEiger(アイガー)、Mönch(メンヒ)、Jungfrau(ユングフラウ)のお膝元Grindelwald(グリンデルヴァルト)に泊まったり、サッカー好きの父なのでここ地元Zürichのサッカーチームの試合を調べて見に行ったり、その他の場所にもいろいろ行きましたが、とにかくスイスにたくさんマネーをドロップしていったことだけは確かです。ビバ日本人観光客。

 両親の泊まった部屋から。
 タケノコシャレー 
 氷河ガガガ
 Gornergratヘ向かう車窓の風景
 山に咲く青い花
 ハイキング途中

67歳の父親と57歳の母親ですが、Zermattでは高低差が670mくらいある、Sunnegga(スネガ)からZermattまでの距離を歩いたり、Grindelwaldでは、Gletscherschlucht(グレッチャーシュルヒト)まで歩いたり、高低差300mくらいだけれども、Eigergletscher(アイガーグレッチャー)からKleine Scheidegg(クライネシャイデック)まで歩いたりと、双方の健脚ぶりに娘ながら驚きました。父親に至ってはいつ寝とるのかどうかわからないという謎の人物なのですが、毎朝4時ごろに起きてホテルの周りを1時間半位歩いていたそうですから昭和10年代生まれの強さここにありと思いましたがどうでしょうか。
また、私はすべての会話をへたくそなドイツ語でがんばりましたが、ここスイスではスペイン語ポルトガル語を話す人が結構に多いのです。父親はウン十年前のとある現地のBerlitzで共通語がポルトガル語しかないという状況で勉強していたので、ここスイスにやってきて相手がスペイン語ポルトガル語を話せるということが分かるともう話せることが楽しいらしくてぺらぺらと話しておりました。ちょっとした冗談も話して双方がひゃひゃひゃと笑っているのを見ると、私のドイツ語なんてまだまだだなあと思います。精進します。

で、Zermatt。この土地は、ま、私たちも日本出身ですが、日本からの”団体”旅行客が多いのに驚きました。若い人はまれで両親くらいの年齢の人がとても多かったです。若いころの憧れの土地だったところに来ているのでしょう。しかし本当に多かった。あとは、ここにあるホテルはほとんどすべてがスイスの伝統様式にのっとったシャレー式で、石の屋根に、木の壁に、バルコニーにはゼラニウムがたわわと飾られているという、うっとりする風景です。風の谷のナウシカならぬ谷間の狭い土地にあるのですごく建物と建物の間がすごく密集しており、建物は竹の子のようににょきにょきと生えている感じでした。また、ホテル以外にも多かったのが賃貸のアパートメント。たぶん避暑地としても機能をしている場所なのであろう。
Matterhornはその形が独特で北側から見ると一つだけぽこーんと高いのですが、上にあがってみると南側は延々と続く山岳地帯で、おおお、つながっておるなあと感動します。展望台はいろいろなところにロープウェイや登山鉄道やらで張り巡らされているのですが、Matterhorn Glacier Paradise(マッターホルン・グレーシャー・パラダイス:3883m)からみるMatterhornは私たちの想像する形のMatterhornではなくピラミッドみたいな形でちょっと拍子抜けですが、ここでは夏でもスキーとスノーボードを滑ることが可能です。実際一緒にロープウェイに乗ったオランダから来られた男性は、毎夏滑りに来ているんだそうです。ヨーロッパでは夏には3週間くらい休暇を取っていいのでした、ああ、素晴らしい。そしてオランダと言えばご想像通り世界一平均身長の高い国ですから、その彼も身長は2.1mとのことでした。さて、別の展望台ですが、登山列車で行く、Gornergrat(ゴルナーグラート:3130m)、ケーブルカーとロープウェイを乗り継いで行くRotehorn Paradise(ロートホルン・パラダイス:3100m)から見るMatterhornはあのイメージ通りの山の形でした。夕方に登ったらほとんど誰も人がいなくて、上からひと駅分歩きましたが、Matterhornはその場所から南西に位置していますので、夕陽がバックになってできる逆光の神々しさたるや、登ってみたいなあという気持ちにさせるのは納得できるような気がします。

以下、しつこくMatterhornコレクションです。