こっちに住むことが決まった時に、あることができればなあ、とすこしばかり妄想しており、それは方言の「よかよー」を教えることでした。「よかよー」と言えば「いいよ」の意味になるし、「よかよか」と二度言えば「結構ですよ」とか「気にしないで」という意味になるこの方言。これを説明するための英語の文章も考えてさらに妄想をふくらましていたのですが、こっちの生活に慣れるまでそんなことは忘却の彼方でした。だいたい、そんなこと考えていたのかしらというくらい。それがどっこいこの妄想が現実となりそうなのでした。私より3歳年下の、でも年上に見える、スイス人の女性で、肌があんまり白くて顔の血管が青々と見える獣医さんである彼女は、10代のころに日本に3週間滞在したことがあり、それも文部大臣に会ったと言っていたので、たぶん日本スイス間の公的ななんか行事だったのでしょう、その時にホームステイ先の家族にすごく親切にしてもらったことがとても印象に残っているらしく、かつ、文化、神道と仏教についても興味があるのでした。それで、私に日本語を習いたい、反対にドイツ語も教えれるよ、というのでこの6月から始まった。彼女は学校で日本語を選択していたこともあって、ひらがな、片仮名は読むことができる。これは私にとってとっても助かること。また、彼女は日本で都市部以外でも一人で旅ができるようになりたい、とか、ちょっとした方言も知りたい、、、というのを聞いた時に、あの妄想がぐわっとよみがえってきました、よかよー、よかよか、と。日本語って無意識に使っているけれども、質問されると、なんでなのだろうか、と考えることが結構多く、これまた日本語を見直すよい機会であります。もっとも反対に他言語についても同じことが言えるのではないかと思う。ある言語が母国語の人は、その言語を話す時には特に考えないでも自然に口に出てくるのですから。また、語学学校だと授業を受けるという態勢だけれど、彼女との勉強会は、普段の生活で耳にする言葉やら、なんやらと授業では聞きにくいことを細かく聞けて、かつ彼女はかなり丁寧に説明してくれるので、私にとっても助かる勉強会です。ちなみに彼女の名前は、ドミトリーがミーチャ、ニコライがコーリャ、イワンがワーニャ、、、あ、どうでもいいですが、「カラマーゾフの兄弟」はこちらに来てから読了できました。面識はテレビでしかありませんが、亀山先生、大変お世話になりました。1巻で名前を頭に叩き込む、2巻であのいつまでもねっちりねちねちつづくロシア的文章に慣れる、3巻からようやく面白いという風になり、4巻、5巻と行けました、またもやどうでもいいですが、舞城王太郎の「ディスコ探偵水曜日」はドスちゃん(ドストエフスキーの私の愛称ね)的ではないかと思うのですが、あれは表紙の萌えさに騙されてはいけぬ、サイモン・シンの「宇宙創成」と併読すると面白かった。うほー次回作が楽しみ、と思います、で、長くなりましたが、というように、このロシア的愛称「○○ニャ」が彼女の名前である。てじなーニャ。


チューリッヒ植物園のヒマラヤけしが、種を植えてから初めて花をつけました。今が旬です。