Krakowから、全く車内放送のない(日本の車内放送が親切すぎるのかどうなのかとも思うが)、停車するときはガコンと頭が椅子の背にぶつかるくらいの急停止で、かつ扉は急に開き、閉まるまではあっという間の数秒でがーっとしまる。誰か挟まってしまう人はいなかったのだろうかと思う。で、電車がホームに入っても駅名の書かれた看板がなかなか見当たらないので、目的地にそろそろ着くであろう時間に、扉の前に立ってガラス越しにホームのどこかにあるはずの駅名を書かれた看板を探すという、そんな、ひやひやしながら、座席がすべて赤いプラスチックの椅子に座って電車で1時間半揺られると、そこはOswiencim(オシフィエンチム)。ドイツ語でいうところのAuschwitz(アウシュヴィッツ)。

20世紀後半になって、というのは、つい、最近のことだ、大量殺戮というものがここだけでなくなぜにこんなに拡がったのかだとか、またひとりの人間の理想主義が全体を巻き込んでこんな事になったのかだとかを自分の頭でもくもくと考える。で、人間の狂気というのは別に大したことはないんじゃないかというか、ほんの一握りの人間だけがもちうるのではないかと思う。つまりは、ここで起こったことの狂気というのは、ある人、ヒトラーの狂気だけであってそれ以外の実行した人間は、その狂気を持った人の理想を実行するために、あとは、完璧たる合理主義でやったのではないか、と思うのだがどうなのだろうか。実際に見て、ガイドを聞いて、何というか、異様なまでの合理主義に基づいてにおいてこれが成立してしまったのではないかな、と。

ホームと電車の段差がものすごいOswiencimの駅を降りて、右に進み、道なりに左に曲がると左に見えてくるのがAuschwitz強制収容所。英語のガイドを申し込んだのだが、ガイドの人は緑の眼をした私と変わらないくらいの年齢のポーランドの男性であった。ガイドブックに書いてあることに沿って説明くれたけれども、確かにカッとなって熱くなりすぎるのもあれだけれど、それよりも彼自身の言葉でちゃんと話してくれたというのは重要であったと思う。もう一個の大きい絶滅収容所と呼ばれるBirkenau(ビルケナウ)までバスで移動。バスの窓から見える風景はえっと思うくらい。あまりに広大すぎて唖然とする。

ARBEIT MACHT FREI


窓を目隠しした10号室 
Birkenau: 先のガス室か、労働か、の分岐点
ガス室

ここにはあまり写真を載せません。
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