Zürich(チューリッヒ)からWarszawa(ワルシャワ)空港で乗り継いで、プロペラ機に乗り込みKrakow Balice(クラクフ・バリツェ)空港へ。Polska(ポーランド)のすべてのトイレがどうかは知らないけれど、”トイレ・女”の表示の扉を開ける、ちょっと空間があり、さらに扉があって、ようやくトイレ。トイレの便器まではもう一個個室の扉を開けるのですが、この空間のせいかどうなのか、トイレは1個しかないというなんだそれといいたくなるトイレ。さて何回トイレと言ったでしょう。というのはどうでもよいとして、Krakow空港はものっすごい敷地が広いのに、国内線の建物は新しいけれどトタンでできた小さい倉庫の様相である。たぶんにここは軍用地なのでしょう。着陸の際に迷彩色、カーキ色の軍用機がずらりと並んでいたのが見えた。また、搭乗手続きの人はさすがにポーランド航空の人でしたが、それ以外の荷物検査やらなんやらの人たちは、カーキ色の軍パンをはいた、カーキ色のTシャツを着た、真っ黒のごっついブーツを履いた、たぶんに空軍の方、でした。

首都であるWarszawaは幾度かの戦災で建て替えられた建物が多いのだそうだが、私たちが拠点としたKrakowは第二次世界大戦の戦災を免れ、中世の建物、町並みがそのまま残っている街。まるでイタリアのボローニャのよう。またユダヤ人ゲットーがあったKazimierz(カジミエーシュ)地区もそのまま存在している。ある点だけどうかだけをしっかり調べて選んだホテルだったが、偶然にも私たちが泊まったホテルはその地区にあった。歩くのは全く問題ない二人なので、観光案内所で地図をもらってぷらぷらと歩いた。建物はものすごく古い。スイスだったら外壁のお手入れも怠らないのだが、ここではそうではない。でも、ポーランド第一次世界大戦まで消滅していた国で、そして統一され、第二次世界大戦で再び消滅し、再び統一され、やれやれやっとこさで経済が自由化となったのも20年くらい前、という国であり、古いようで若いようで古いようで若い国(どこまで続けていいかわからん)。いろいろな建物、商店を見たりしていると、がんばれ、がんばれ、と思う。

2晩とも同じユダヤ料理レストランに出向き、というのは店員さんの対応がものっすごい感じがよかった。そして、メニューをにらんでは、これは使っていないんだな、とかこういう食材を使うのか、というのを興味深々でたらふく食べました。料理のこともちゃんと説明してくれて、英語が出てこないときは、その食材を持ってくるわといって持ってきてもらっている席もあった。2日目の晩はKlezmer(クレズマー)音楽をクラリネットコントラバスアコーディオンのトリオで演奏しに来ていて、これまた興味深かった。こぶしの効いたクラリネット、つまりは日本の民謡のこぶしの聞いた歌い方を彷彿させるような音はこれまで聞いたことがなく、さらにコントラバスアコーディオンという組み合わせも聞いてて面白い。私のななめ横の席の夫妻が、私が食べているデザートを見て、ねえねえ、それ何?中身は何?と聞いてきたり、奥のテーブルの家族の口髭のお父さんがKlezmer音楽に合わせて「はぁ〜ん」と鼻歌を歌っていたり、これまたななめ横の別の夫妻はウォッカをかっぱーと飲んでいたりと、これまたお客さんの雰囲気もよかったなあ、と思う。