帰宅の途。
BolognaからMilanoまではEuro Star AV。MilanoからZürichまではCIS(Cisalpino)という、日本でイタリアやらスイスのガイドブックを買うとその列車のページで多分に紹介されているであろうと思われ、同時に「スイスとイタリアを短時間で結ぶ特急列車!!」なんて素晴らしい謳い文句が掲載されているであろうと思われる、そのCISに乗る。

Milanoに着きCISが出るまで時間があったので、Milano駅の周りをぷらぷらするがDuomoがある中心街とは全く違う雰囲気で駅の前からまっすぐに伸びている大通りはまるで博多駅から福岡サンパレスに向かう大博通りのようであった。そして右手には久留米市庁舎に似ているイタリアに来て初めて見る高層の建築物…数百年後に斜塔なんてことになりませぬようにと思ったのは言うまでもなく。



さて、そろそろ出発の時間。予約していた座席に座って待っているとイタリア語でアナウンスがなされている。何のことかわからないので周りを見ていると、私たちの向かいの席のフランス語で会話をしていた小さい子連れの夫婦が「この列車は動かないらしいよ。いったん外にでないといけない。」と教えてくれた。一旦ホームにでて電子掲示板を見るも、私たちの乗る予定の列車は記載されているが、乗車ホームは空欄のまま。おそらく新年をカトリックの総本山、バチカン市国で迎えたんではないであろうかと思われる(あくまで予想だが)シスターの団体御一行様(この日は1月1日で、他にもシスターの団体が多くいた)も、私たちと同じように電子掲示板を見ながらじっと待っていた。しばらくすると「15分遅れ」という表示。「マンマミーア」である。それでまたしばらくすると「30分遅れ」の表示。「マンマミーア」。さらにまたしばらくすると「45分遅れ」の表示「マ、、、」以下略。ようやく我らがCisalpinoがMilanoの駅に顔を出して、ようやくようやく着席。いざ出発となった時は、頭にサンタクロースの帽子をかぶった若者集団が「ブラぁヴォ!」といって拍手をしていたので、私たちが乗っていた車両のみなさんも合わせて拍手をしてしまった。さあさようやく帰宅ですね。と思っているとイタリア国境を過ぎてスイスに入り初めての駅Chissauでしばらく停車している。なかなか動かんねと思っているとアナウンスが始まる(ここはスイスといえどイタリア語圏なのでイタリア語でアナウンス)。なんだか車内の雰囲気がため息交じりの空気だったので何事かと思っていると、フランス語で会話をしていた夫妻は赤ちゃんのおむつ換えのためトイレに行っていたので、通路をはさんで隣の座席に座っていた年配のご夫婦、びしっとした格好をされていて、車内ではバゲットをヴィクトリノクスのアーミーナイフを切ってチーズを塗って食べていた)が教えてくれた。おじさん「この列車はこれ以上動かないんだそうだよ。降りなきゃいけない。」、私たち「よくあることなの?」、おじさん「うん。この列車を作っている会社がものすごく小さい会社でよくこういうことがあるんだよ。それでまたこの列車もたぶん15年くらいは走っている古いものなんだよ」と。15年くらいで故障を起こす、、ん、、、だ、、、、、と、工業製品やら電化製品やらが日本クオリティとともに連れ添ってきた私にとっては15年くらいで!と思ってしまったが、This is Italyなのである。で、みんな難民のようにぞろぞろとホームに降り立って次の列車を待つ。そこからの列車はEuro CityだったかInter Cityだったか寒さで忘れてしまったがイタリアの列車ではないので(イタリアに対して失礼ですが)、きっちり私たちを運んでくれた。しばらくしてアナウンスを聞いていると(まだまだイタリア語圏)、次のLuganoからZürich行きが出るよ、という。Luzern行く人はこの列車のままでよかよ、という。そのあとドイツ語でもアナウンスしてくれたのだが、文章として言うのではなく、大事なところだけドイツ語の単語で、という、しかも停車駅名についてはイタリア語でいうものだから最初は何の駅だかと思っていたのだが、何回もしつこく言ってくれたので理解できた。何とも面白い。

Lugano:ルガーノ=ゥルッガーノ
Luzern:ルツェルン=ルツェゥルーナァッ
Zug:ツーク=んズーゴォッ(いびきみたいな感じでした)
Zürich Hauptbahnhof:ツゥーリッヒハォプトバーンホフ=ズゥリィーゴ チェントラぁレッ

例によって例の如く、この言い方が愉快だったのでひとしきり真似をする。乗り換えのLuganoでは列車が来るまで時間があったので、Padovaでのあのサンドイッチを再現すべく、Bolognaの市場でProsciuttoとMortadella、Bolognaの小さな食料品屋さんで見つけたペペローニのピクルスを買っておいたので、小走りでLuganoの駅に併設されている食料品屋さんでバゲットを購入した。無事Zürichに着き、家に帰ってすぐしたことはサンドイッチを作ってほおばることでした。

以下、イタリア旅行で思ったこと。

・Bar(バール)がたくさんあった。カウンターの後ろにはずらりとお酒が並んでいるので夜はお酒を出すようだが、朝はカフェ(イタリアでカフェといったらエスプレッソです)を出しているようだ。店内にはこれから皆さんの胃の中に入るであろうサンドイッチがたくさん積まれていた。イタリアの人は朝ご飯をしっかりではなく、それこそバールでカフェとクロワッサンで済ませるようである。
・物乞いの人がすごく多かった。MilanoからBolognaに戻るときの列車の中で、片手を出して「ボナセーラー、シニョーレー、シニョーラー、、うんたらかんたら(ずっと音程が一定だった)」とすべての個室を回っていたのはちょっとびっくり。同じ個室の人を見てみるとみんな知らん振りをしていた。私もそれを真似する。なんだかな。
・携帯電話で通話の最後の時は「チャーオ、グラーツィエ、、チャァオ、チャァオ、チャァオ、チャァオ…」と永遠に切れないんじゃないかというくらい言っていた。
・地元の人だけが行くようなトラットリアに行くと(びっくりするくらい安くてびっくりするくらい美味しかった、で、びっくりするくらい量が多い)、店主が忙しくて客席をあっちやこっちやと回っている隙に、バラの花束を持って人がさっと入ってきて、客席にバラを売りに回っていた。店主に見つかって、以下、私の勝手な妄想だが、店主「お前、出て行け、邪魔だ」バラ売りの人「旦那、このバラを売らないと年を越せないよ。」店主「こっちも客商売しとるんだ。出て行け。」バラ売りの人「そんなこと言わないでよ、だんな、家にはうちのおかーちゃんと子供たちが待っていておまんまにありつけないんだよ。」というのをひとしきりやんややんややっていて、店主がもう諦めたのか「もう、、勝手にしろ!こちとら忙しいんだ」といって折れていた。このバラ売りの人は結構多かった。
・ホテルのフロントマン曰く、Bolognaは1960年にイタリアで最初に空手と柔道の道場ができたところなんだそうだ。私たちがホテルに戻って部屋の鍵を渡してもらうとき、私たちの部屋の鍵が入っている棚をみてじっとしているので、どうしたのかなと思うと、「にぃぜろ(20)」と日本語で言ったいたので何で知っているの?と聞くと小さいころに空手を習っていたからそれで覚えたとのこと。空手や柔道は素晴らしいと言っていた。




ヴーヴ・クリコが夢の跡