Wie ist der Normale?

川沿いを散歩の途中、向こうから、この辺りにおいてはよく見かける、よって何ら疑問すら起こらなくなった乗り方の、限りなく股を開いて自転車を漕いでいるおじさんが見え、ゆうに2メートルはあろうかという幅の道を、わざわざ、わざわざわたしの方にじりじりじりと寄ってきて、じっと見ながらそして再び反対側に戻っていくという、一人正弦曲線を成しているこのこと自体は未だ謎である。さらに、首タオル、黒いジャンパーにひげの男性が近づいてきて、かなりの明確な発音で話しかけられる。が、しかし、単語そのものはわかる、至極まっとうな単語を使われていたけれども、よくよく聞くと全体の文章としては、破綻していて意味を成していなかった。私達が、「すみません、よくわかりません。」と言って去っていくと、次は信号停止している車の運転手に大声で話しかけていた。その文章自体が意味をなしていないのに、堂々たる話し方をする人の脳味噌の機能というのは一体どうなっているのか、と思う。はたまた、私が理解できないがゆえにダメなのか、とさえ思う。普通であるとはどういうことであろうか。自分が普通であるとはこれっぽっちも思ったことはないので、常に匍匐前進、手探り状態。そして、意思疎通というのげに難しきことである。人はサーカスの綱渡りのように、恐ろしくも微妙な線の上で、ぐらぐらしながら生きているのであるなと思うのでR。ちゃんちゃん。