いろいろな宗教の方がいらっしゃいます。しかしながら、私は宗教についてほとんど何も知らないに等しいし、ましてや、当然のことながら細かい宗派については一切わからない。

イスラム教の女性は、頭から首までスカーフで覆い隠し腕も足首も一切肌は見えない。でもスカーフの巻き方、その柄によってはものすごく美しく見える。インドの方は宗教上なのか、それともサリーを着ることが普通なのかわからないが、多種多様のサリーをまとい、同時にその歩き方もゆったりしていて、そよぐサリーが最も美しく見える。

そして、そして、週末の土曜日の朝、だいたい同じ時間にジョギングをしていると、左手から颯爽と歩いてくる男性二人、たまには三人を見かける。その姿は、ロシア人が被るような毛皮の帽子でさらに直径が大きいものを被り、もみあげ、髭、染みひとつないましろのシャツ、ガウンのような、でも体形にフィットしたシルクの上着で腰のところでひもを結ぶ、少し丈の短いパンツ、大きめの、つま先が丸めの皮靴。すべてが黒。圧倒的な存在感。そう、彼らはユダヤ教の方々。はて、ユダヤ人とユダヤ教がイコールなのか、そうでないのか、ユダヤ人はユダヤ教だとおもうけれども、ユダヤ教の方がユダヤ人かというとよくわからないので、ここではユダヤ教の方、としておく。

彼ら/彼女らの安息日は金曜日の日没より始まり、土曜日の日没に終わるらしい。その間は一切の労働が禁じられているらしく、乗物に乗ることもだめなのだそうだ。したがって、土曜日は多くのユダヤ教の方がシナゴーグヘ向かって歩いている姿があるのである。男性の服装は大体上記のようなものであり、帽子が中折れ帽の中折れしていない帽子であったり、スーツであったり、様々。女性の服装は、ひざ下丈のスカートであることが基本であるようだ。もちろん色彩はすべて黒。男性の帽子は体に不釣り合いなくらいに大きい人もいるのだが、これは信仰度を表すものらしい。子供でも結構大きな帽子をかぶっている人がいるし、私たちが土曜日の朝に会う彼らは、毛皮の異様に大きい帽子なので、おそらく信仰度もかなり高い人たちなのではないかと思う。
彼らの服装を見て私は純粋に美しいなきれいだなと思っていたのだが、それと同時に、私は、こういった感じの服を知っている、よ、な、、と思っていた。そうそう、コム・デ・ギャルソンである。このブランドについてはいろんな方がいろんな様におっしゃっているので今更、という気がしないでもないのですが、特に、ユダヤ教のオーソドックスといわれている、戒律を厳密に守る方々の服装は、このブランドをふと思わせるものがあるような気がする。私だけか。

さて、はたして、それを意識して作られたのかどうなのか、コム・デ・ギャルソンが少年のように、という意味であり、その少年性が何を想起させるのかを知っていたのかどうか。彼女なりのブラック・ジョークだったのか。だとすると、苦い苦いブラック・ジョークだ。さらには、となるとこれはコスプレに相当するのではないかしら、と。ファッション、モードにコスプレが入ってきたのはいつからなのだろうか、とか、いらぬことを考えてしまうので、おしまい!

AW: 非常にユダヤ人的な話ですが、物よりも解釈のほうが好きです。自分が見たものではなく、作った人が、それを通じて何を言いたかったのか。その事に興味を引かれます。